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2016年10月18日(火)

【リゲティ“エチュード”それはピアニストへの挑戦状?贈り物?】レポート

それは2台のピアノのための3つの小品(1976)より《3、穏かに流れるような動きで》の演奏により幕が開きました。(演奏:杉田雄大・菊地裕介)

まずはじめにリゲティが“どういった存在であるのか”や、エチュードを書いた“きっかけ”についてのトークが、解説 北爪道夫氏と司会 佐藤昌弘氏と菊地の3人によってトークが繰り広げられました。
きっかけが自動ピアノのための曲にある、というトークから、私が印象に残った言葉は次の通りです。
“いくら無機的に弾いても、人間の手によって奏すれば、本当の無機にはならないはずだ”
機械の無機と、人間の無機の違い。人間性とは何かということを、作曲家や演奏家は今後時代や世界が変わるにあたり考えていくべき問題であるのだと感じました。
今回菊地はこれについて、自身のデビューCD[イマージュ・フランセーズ]の中の一曲にある《ラ・ヴァルス》の多重録音についての体験を話されました。
また、エチュードとは“奏法のエチュード”であるとともに“作曲のエチュード”でもある。という解説がありました。

そして東京音楽大学の学生による演奏。
《練習曲集 第1巻》より
1番「無秩序」4番「ファンファーレ」 杉田雄大
《練習曲集 第2巻》より
8番「金属」桜木碧水
10番「魔法使いの弟子」槙 和馬

菊地がラストを飾ったのは第1巻より6番「ワルシャワの秋」
各曲の解説を含め、練習の意味や取り組み方にあたってまで、学生の意見等も交えながらのトークはとても熱く、書き手・弾き手・聴き手と、様々な視点から考えることのできる貴重な時間となりました。

リゲティは、アイディアを実践する方法として、明確に曲に取り入れる才能が他の作曲家と比べても抜きん出ているとされています。
しかし“実験的要素”だけでなく、奏者を含めた“聴き手がいる音楽”であることが前提で書かれていることがわかる作品であり、それが「リゲティの作品がこの先もっと身近に聴かれる、弾かれる作品である」ということに繋がっているのです。

今後はもっと聴く人が間口を広くすることで、
“新しいものを聴く→古典の作品等に戻った時に違う発見ができる。”
という発展性が生まれることでしょう。
そして“現代音楽”というくくりについて北爪氏が仰られた、
「“コンテンポラリー=私たちの時代”と捉えてほしい。」
というお言葉が、受講者の皆様の心に残ったことと思います。

さて、“エチュード”とは何か。
挑戦状であるのか。はたまた贈り物なのか。
その答えが両方にあるということに、誰もが納得のできる2時間になったことと思います。
“どうにもならないものと対峙して、その先になにが見えるのか……”
皆様も、リゲティの面白さを知っていただきました上でぜひ、リゲティからの“贈り物”を手にしてみてはいかがでしょうか。

(N.K)